(※注意:八木の雑なまとめ↓)
フランス哲学からプロジェクトを見るとどうなるか?メルロポンティを研究する印部さんから、身体、知覚、習慣といったキーワードを交えて、プロジェクトを捉え直す観点をもらいました。サルトルの実存主義によれば、プロジェクトは「手前に投げる」ことを意味し、常に投げ続けられる終わりがないことを含意している。そんな不定形なプロジェクトは合理的になり得ないが、それでも進めないといけない。そんな「間」(=合理でも心理でもない)を解釈する上で、メルロポンティの「身体」の概念は有効ではないか。デカルトの我「思う」ではなく「できる」という習慣性をも伴う感覚こそが身体性であり、それを養うことがナレッジ獲得なのではないか。